突然の

日本から帰ってきて5日目、溜まりきっていた課題の片付けがようやく終盤に差し掛かったある日。

いつものようにチビラを学校に送り、いつものようにその足で森に行き、いつものように帰ってきて、いつものようにいぬめしをかっ食らっていつものようにチビラ部屋のソファでヘソ天になっていたボダイ。

いつものように気配を消して寝ていたはずのそのボダイが、PCに向かってボチボチと仕事をしている私のところへ何気にとぼとぼとやってきて、そしてよろけた。

頭を下げ、はあはあと荒い息をしながら後肢を左右に踏ん張っている姿の不自然さに加え、ものすごい速さの心拍で体が震えている。

事の異常に気づき、脈を測ると200に近い。
脈を測る途中で力なく崩れ落ちるボダイの口の粘膜は血の気を失い軽いショック状態に陥っていた。
頭を持ち上げてもダラリとなすがままのボダイに慌ててバッチフラワーレスキューレメディを垂らし、体を擦ると少し粘膜の色が戻り、ようやく頭を軽くもたげた。

運良くその日は休みであった主人にボダイを抱えてもらいその後は取るもの取りあえず病院へ直行。
心房粗動(頻脈)のため24時間心電図観察に対応している大学病院へ救急で担ぎ込み、心電図、エコー、
レントゲンを急いで取り、そしてそのまま、別れもままならぬうち、あれよあれよという間に病棟へと
連れて行かれてしまったボダイの後姿を見て急激に不安に襲われた。

もし、このまま帰ってこなかったら...

とりあえずのリドカイン投与により一命を取り留め、でも果たして本当に戻ってくるだろうか?

入院手続きを行ったときの担当獣医師はアラブ人だった。
だからというわけではないが、説明がぶっきらぼうで、「薬を投与しても死ぬときは死ぬ」といったような説明を受けたとき、よりによってなんてヤツに当たってしまったのだと、怒りと同時に情けなさがこみ上げた。
言い方にムカついたので、「他に言い方はないのか」と軽く言い返したら「他の病院に行ってくれてもいいんだ」と言われた。

この担当獣医師の言葉にチビラは涙をボロボロこぼしながら大泣きした。

家に帰って、チビラ部屋のソファを見てもボダイはいない。

その日の夜遅くに担当獣医師から電話が入り、血液検査の結果を知らされた。
画像診断では心臓にも内臓にも特に異常は見られなかったことと血液検査の結果から、感染症あるいは中毒症状ではないだろうかと疑われた。
とりあえず落ち着いているが予断は許されない、と再度アラブ人は言った。

それからというもの眩暈と頭痛に襲われ、その晩はとても眠れなかった。

翌朝早くに目が覚めて、チビラ部屋のソファを見てもボダイはいない。

涙が出た。

分かっているけど、部屋のどこを探してもボダイはいない。

もう、ボダイは帰ってこないのか?

後悔の念と寂しさと不安に涙が止まらなかった。
突然別れるなんてこれっぽちも予定していなかったから。

分離不安の強いへタレなボダイの性格からすると、きっと入院自体が精神的なショックを与えるに違いない。
どうせ他所のメシなんぞ口にしないだろうから、うちのいぬめしと一口大に切った犬ソーセージを持って病院へ行く準備をした。

喉元が詰まり何も入らない朝食を終え、家族で大学病院に向かう途中で主人が「ボダイを連れて帰ろう」と言ったが、「たぶん無理だよ」と飼い主モードの私とは裏腹に、獣医モードの私がそう答えた。

幸いにも週末の当直は心臓専門獣医師である同級生だった。
心の優しい彼女のことだから、きっと細かく面倒を見てくれるはず、そう自分に言い聞かせる私に同級生獣医師は状況を詳しく説明してくれた。

その時は点滴投薬がまだたった一晩で、投薬を外すとすぐに状況が悪化することから面会できず、彼女に気持ちを伝え、いぬめしを渡して帰宅した。

私の眩暈と頭痛は続き、夕方になって急激に眠気に襲われ、そしてベッドに倒れこんだ。

入院3日目、チビラと一緒に病院へ。
救急で多くの動物たちがやってくる中、待つこと2時間。
波が引いた頃に同級生獣医師が突然ボダイを連れて待合室に入ってきた。

私達の姿を見て、キューキュー泣くボダイ。
喜びを全身で表し、尻尾がプロペラのように廻っている。
ボダイは喜んでいるものの、足取りは少しふらつき気味、少し痩せていた。

数時間前に点滴投薬を止め、経口投与に切り替えたとのことから、敷地内の森を散歩することにした。

とても疲れた顔をして、芝生に着いたらすぐに座り込んで秋風の中の馬の匂いを嗅ぎ取っていた。

採血やエコーのためにあちこち毛を刈られた跡はあるものの、生きたボダイにまた会えた、ただそれだけに感謝したかった。

ボダイに面会できてはしゃぐチビラ。
傾きかけた秋の日を浴びながらボダイと一緒にいる時間をただ安堵として受け止めていただけの私。

「明日は一緒に帰ろうね」
そういってまた病院へ戻った。
病院の玄関に迎えに出ていた看護士のお姉さんの姿を見て、ボダイが少し尻尾を振った。
どうやらそんなに悪い待遇は受けていなさそうだ。

気がつくと眩暈と頭痛はいつの間にか消えていた。

何しろ自分が在学中にはこの大学病院で実習をしていただけに、裏の事情にはいまひとつ疑いが付きまとう。
できることなら大学病院への入院だけは避けたいと思っていたが、我が家の周辺では24時間心電図観察下に置くことが出来る施設はここしかなかった。
車で5分の場所に大学病院があるんだから、他の人にとってみれば贅沢なものだ。

早くに異常に気がついたこと、大学病院が近くだったこと、当直が心臓専門獣医師だったこと、それでもなにかと幸いは続き、4日目にボダイは退院して自宅治療に移った。
退院の際に再びアラブ人獣医師から説明を受けることになっていたので、改めて同業者であることを告げた。
ただ詳しい説明が欲しかっただけだった。

案の定、アラブ人獣医師はとたんに入院時のデータをすべて公開し、手のひら返したように細かな説明を始めた。
そして「母国(シリア)にいるサイトハウンドは凶暴だったから、怖かった」と聞きもしないことを白状してくれた。
「でもボダイは信じられないほどいい犬だった」とアラブ人獣医師は付け加えたが、私にとっては当然のことだった。
ボダイがこの獣医師にどんな扱いをされたかは知らない。

それよりもどうやら頻脈発症以来ボダイの心筋は若干の障害を負い、数日のうちに初期の拡張型心筋症(DCM)に発展していた。
退院直後は投薬にもかかわらず心臓の収縮力が弱く、通常の3分の1程度しかなかった。

入院中はとにかくなにも受け付けなかったのだろう、帰ってきてから1週間、ボダイが唯一欲しがる肉だけをひたすら腹いっぱい食べさせ続けた。
闘病のエネルギー源に使われ落ちてしまった筋肉を補うためボダイの体が欲していたのだと思う。
その肉に含まれるタウリンやL-カルニチンは何よりもDCMに効果的である。

退院の3日後からは所用で私一人遠出をすることになっていた。
しかし、このままボダイを置いてゆくわけには行かず、車に乗せて連れて行った。
私が用事を済ませている間、車内後部のボダイスペースで安静を強要されていたボダイ。
私の姿が見えなくなる毎に遠吠えをして訴えていたものの、心臓は落ち着いていたようだった。

そして今、12日前の出来事が幻であったかのようにまた元気なボダイに戻った。

今後はDCMの経過を負ってゆかねばならない。
しばらく長期で薬の世話になることになる。

しかし運も実力のうち、ボダイはきっと聖人フランシスコの加護にあったに違いない。
退院した日は聖人フランシスコの命日(世界動物保護デー)だった。

ボダイが再び我が家に生きて戻れたことはなにより聖人からの贈り物であろうと思いたい。

いつかは必ず別れなければならない時が来る。
その日まで、大事に一緒に暮らしてゆこう。

毎日一緒に散歩が出来る、手を伸ばせばそこにいる、それだけでもすばらしいと思う。

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ヘソ天、万歳。

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Veröffentlicht in Bodai